密/室(仮店舗)

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■かくも長き孤独■


「キマイラの新しい城」で、雨が降り出すか、という空模様を見た時アントニオが、
「雨が降りそうですね。大将、傘を持っていったかな」
と心配するシーンが、泣けるほど好きです。

自然にこう思える人がいる幸せをアントニオは初めて味わっているんだと思う。
(いやもう、私設定で申し訳ないけれども!)
(殊能先生、アントニオと石動さんの出会い編はよう)
(嘘です贅沢言わないです何でもいいのではよう)

愛される幸せというのも勿論ありますが、
愛する人がいる幸せというのもあって、アントニオは誰かを愛したかった、というのが私の持論です。
腐女子の捏造力なめんな。


■かくも長き孤独■



 窓から差し込む光の角度と強さが、既に昼近くになっていることを物語っている。アントニオは、あまりの暑さに、ハンモックの中で呻き声をあげて身じろぎした。
 大将はまだ起きてこないのか―――。
 いつもなら、暑さに耐えかねて先に起きだしてくるのは、決まって石動だった。居室からうんざりの態で這い出してきて、エアコンのスイッチを入れ、利きの悪くなったそれか、依然としてゴロゴロしているアントニオに一頻り文句を言うのがお決まりなのに―――。
 ああ、そうか、いないんだ。
 半分寝ぼけた頭で思い至る。もう幾日にかなるのに、毎朝無意識に同じ思考を辿っていた。


「八時ちょうどの~あずさ二号で~♪」
 石動が、出張のための荷物をまとめながら調子っぱずれに口ずさんだ。明朝、まさにその“あずさ”で、またもや判じ物の為に信州へ向かうのを知っていたアントニオは、雑誌のページを繰る手をとめて眉をひそめた。
「何の替え歌ですか?」
「替え歌じゃない。こういう歌詞の歌謡曲が有ったんだ。まあ、おまえとは異文化ギャップがあるからな。知らなくてもしょうがない」
「文化というより年齢の問題なんじゃないですか」
 アントニオの顔めがけてタオルが一枚飛んできた。図星だったらしい。


 ハンモックから石動のいない事務所を見下ろすと妙に静かでがらんとしていた。一人いないだけなのに、何がこうも違うのだろう。ため息をひとつついてから、アントニオはいつものように、くるりと体を回転させて着地した。
 まあ、元々、石動が、落ち着きの無いタイプの人間であることも一因だとは思う。
 だいたい、静止している時がない。本を読んでいる時ですら、本の内容に集中はしているようだが、傍から見ている人間には気ぜわしいほど絶えず姿勢を変えている。椅子の背もたれに寄りかかったり、足を組んでみたり、机にべったりと本を置いてみたり。かと思えば、突然本を机に伏せて頬杖をつき考え込んだり、両手を伸ばして机にばたんと突っ伏したり、周辺に積まれた書類をばさばさと漁ったあげくに引き出しをがちゃがちゃいわせてメモを取り出し、一心不乱に何かを書き付けたりする。

 時計を見るともう十一時を回っていた。
 十二時を過ぎると飲食店は混み合ってしまう。早めに昼食をとろう、と思う。


 暑い。温度も高いが湿度が高いのが堪える。ほぼ天頂の位置からふりそそぐ太陽の熱もさることながら、足元のアスファルトもそれに負けじと熱を放ち、それに燻りだされたかのようなじっとりとした湿気が立ち上る。街の様子は一見いつもと変わらないが、少し観察してみれば、通りを歩くほとんどの人がその毒々しいばかりの熱気に気圧され、一刻も早くここから逃げ出したいと思いつめているようだった。

 いつものようにメニューを相談する必要も、相手の希望を探る必要もない。さて、何を食べようか。

 照りつける太陽から逃れるように裏通りへ入ると、射るような日差しから解放され、少しほっと出来る。
 行きつけの中華屋、三番の引き戸の前にもランチメニューの看板が立てられている。普段の定食やラーメンセットの上に、わざわざ紙に書かれ、看板に貼り付けられているメニューが一つ。アントニオがそれを己が語学力を以って解読しようとした時、不意にその引き戸が開き、小柄だが声の大きいことで有名な店主が顔を出した。
「あれ、一人かよ」
「ええ、大将は出張に出てて…」
 この会話もこの数日で、慣れた。アントニオは看板に貼られた紙を指差して、
「新しいメニューですか?」
「お、そうなんだよ。冷やし中華なんだけどよ、辛子の代わりにピリ辛味噌を乗っけてみたんだ。さらに!」
 ただでさえ大きな声が自信たっぷりに一層大きくなる。新メニューは殊のほか好評なようだ。
「錦糸玉子を温泉玉子に代えたら、これがかなり評判よくってよ」
「おいしそうですね」
「席、空いてるぜ」
 中華屋三番に新メニュー。ピリ辛味噌と温泉玉子の冷やし中華。帰って、大将に教えてやらないと。いや、今電話してやったら飛んでくるだろうから―――。
 そこまで考えて、心のどこかに芽生えた違和感を手繰り寄せて気付く。
 ああ、そうだ。あの人、いないんだ。
 肩透かしをくったような侘しさと、今、この店主に自ら石動はいないと話したばかりだというのに、石動を呼び出そうと思う己へのおかしさがないまぜになり、アントニオは微かに苦笑した。
 いずれにしろ、石動が帰ったら報告すべき重大なニュースだ。
「今度、大将と一緒に来ます。アタシだけ先に新メニューをいただいたなんて知ったら、相当恨まれますから」
手を振って歩き出したアントニオの言葉に、店主は気持ちよく豪快に笑った。
「小学生のガキか、あいつは」

 激辛料理は苦手だという石動も、ピリ辛くらいなら、美味しいと言うに違いない。上機嫌で平らげた後、辛子を辛味噌に、錦糸玉子を温泉玉子に変更するというアイデアを大げさに褒め称えるだろう。
「このアイデアは高田馬場中に知らせるべきですよ。真似される?そうじゃない、元祖は三番にありってことをはっきりさせとかなきゃいけません」
 とかなんとか。
 そう言われた店主はさらに鼻を高くして大きな声で笑うのだろう。
 新メニューの貼紙が一回り大きくなるかもしれないな。
 自分の想像がいかにもありそうに思えて、笑いがこみ上げた。

 中華を食べ損ねたアントニオは、昼食のメニューを決めあぐねていた。
 いつも石動と行っている店、食べているメニュー、どれに決めてもいつもより味気ないものになりそうだったからだ。逆に、石動と入ったことのない店、食べたことのないメニューを選んだとしても、自分の心持は同じことだろう、と思った。その店、その料理が美味しくてもそうでなくても、石動の反応が見てみたかったと思うだけだ。
 
 結局、スーパーに寄り、サンドイッチと牛乳、買い置き用の食パンを買うことにした。
 
 スーパーの袋をカシャカシャといわせながら、のんびりと裏通りを駅へ向かう。未だ買い手がつかないのか、一年ほど前に空き地となった宅地には背の高い雑草が強力な生命力を誇示するように生い茂っている。このあたりの野良猫が一堂に会する“集会所”だ。その生い茂った草むらの影から、かすかな葉ずれの音と、心細げな、複数の鳴き声が聞こえた。
 あの子猫か。

 二、三週間前だっただろうか。石動とここを通りかかった時、以前から石動がこのへんの猫では一番の美人だと言って譲らない黒猫が、ニィニィと鳴く小さな黒猫を銜えて道路を横切った。
「今の見たか?アントニオ!あの子がお母さんになったのか!」
「なんだか母の貫禄みたいなものを感じましたねえ」
「問題は、子供の父親が誰かということだ!」
「…お父さんみたいなこと言わないで下さい」
 他の子猫の柄を見れば父親が特定できるかもしれないと言い出した石動だったが、声を頼りに追跡したところで、子猫を怖がらせ、親猫が警戒心を強めるだけだと判断する理性は残っていた。このあたりの野良猫はだいたいこの空き地で餌をもらっているようだし、いずれわかる日がくると自らを納得させて、その場を去ったのだった。

 母猫を呼んでいるのか、かぼそい鳴き声が不安げなハーモニーを奏でている。子猫の成長は早いから、もう自分で歩きまわれるようになったのだろう、鳴き声がするあたりの草が数本づつ、順繰りにゆらゆらと揺れた。
 近づいて怯えさせるのは忍びない。アントニオはその場から動かずに頭だけを動かして草むらの奥を見通した。


 大将ご執心の彼女の子供は全部黒猫。
これも石動に伝えるべき重大ニュースだ。「それじゃあ父親が特定できないじゃないか」石動は落胆するだろうが、こればっかりは仕方ない。

「戻りました―――」
 応える声がないことはわかっていたが、いつもと同じようにそう言って有限会社ダム・オックスのドアを開ける。コンクリートに囲まれた雑居ビルの一室はほとんどサウナだ。むっとした空気が溢れ出し、あっという間にアントニオを包み込んだ。
「外より不快っていうのは住居として問題ありだな…」
 みるみる間に汗が噴出し首筋をつたう。実を言えば、石動が不在の間は、なるべくエアコンの使用を制限しようと思っていた。元々アントニオは暑さ寒さには強いというのもあるが、月末の電気代が万一、通常の月より上回った場合、石動に何を言われるかわからないからだ。
 ただでさえ利きの悪いエアコンだが、いつもより設定温度を上げてスイッチを入れる。エアコンは面倒くさそうに一頻り振動してから、やっと生ぬるい風を噴き出し始めた。


 夕暮れが高田馬場を少しづつ包み、窓からは、赤い雲と青い雲の裾を太陽の残滓がかろうじて光らせているのが見える。
 一日は、こんなに手持ち無沙汰で長いものだっただろうか。
 もう随分と古くなったテレビのスイッチを入れた。最近のテレビはスイッチが入れば、瞬時に画像を映し出すものらしいが、こちらは年代ものだ。ブウン、という音の後、音声が聞こえ、それから徐々に画像が映し出される。
「明日も暑くなりそうですが、局地的な夕立にご注意下さい」
 若い女性のそんな声の後、ぼんやりと簡略された日本列島が見えてくる。沖縄には曇と傘のマークが付いていたが、その他は晴れ。「東京」の文字の部分を確認した後、出発前に石動に確認した、「松本」の部分も確認する。
 よかった、晴れている。
 何故かほっとする自分がおかしかった。


 夕食は、買ってきた食パンにマーガリンを塗ったトーストで済ませた。シャワーも使い、もう、何もすることがなくなってしまった。寝巻きにしているスウェットに着替えたアントニオは事務所のソファに座り、再びテレビのスイッチを入れる。ブラウン管の中では一見どれと特定出来ないような似たり寄ったりのバラエティ番組が放送されていた。
 こういう番組がいかにつまらないか。何故つまらないか。それを面白がるにはどうすればいいか。はたまたテレビの報道は我々に間違った先入観を与え、洗脳しようとしているのではないか。普段テレビを見ながら石動と話しているのは、そういった取るに足らないことだ。取るに足らない感想、批評、予想、妄想。そればかりだが、それすらも一人ではもっと意味がない。
 しばらくはその番組をぼうっと眺めていたアントニオだったが、番組も佳境に入ったのか出演者たちの声や観客の声も大きくなる。必要以上にがなり、煽るような展開に疲れを感じ、リモコンのミュートボタンを押した。それまで周りを取り巻いていた笑い声、歓声、はしゃいだ雰囲気がなりをひそめ、小さなブラウン管にパッケージングされた。

 早く帰ってくればいいのに。報告すべきことが多すぎて忘れてしまいそうだ。今日一日を考えても、三番の新メニューや空き地の子猫のこと、それから―――。


 昨晩は、不覚にもテレビを消音したままソファでうつらうつらしてしまった。覚醒して画面を見ると次の番組になっていた、というテイタラクだった。
 ため息をついてテレビを消したところで、事務所の電話が鳴った。助手兼電話番を任命されている身としては、例え明らかに営業時間外であっても出ないわけにはいかない(だいたい有限会社ダム・オックスには営業時間の概念がない)。万一依頼の電話であった時に備えメモを用意してから受話器をとったが―――。それは石動からの電話だった。
「明日の午後、そっちに帰る」
「見事解決ってことですね。おめでとうございます」
 そう言っておだててやると、電話の向こうの声が得意そうに、
「ああいうのは、要件さえ揃えば自ずと答えらしきものは出るんだよ」
 自慢げに鼻をぴくぴくさせているのが目に浮かぶ。
「明日は何時にこっちに着くんですか?」
「うーん、もうUターンラッシュが始まったらしくて、なかなか指定席がとれないんだよ。新宿まで三時間もかかるから座って帰りたいし…」
「指定席?」
 必要に迫られてとはいえ、普段吝嗇家な石動にしては珍しい。思わず鸚鵡返しにすると、
「どうせ必要経費だからな。席がとれるまでの間、昼飯に名物のそばでも食べていることにして、適当に帰るよ」


 昨日の食パンにマーガリンを塗って、昼食をすませる。どうせ石動が帰ってくれば、報酬のあても出来たことだし、三食のほとんどが外食になるに違いない。それに、元々グルメなわけでもなく、空腹が満たされれば充分な性質だ。


 そろそろ夕暮れかという頃、窓の外がさっと暗くなった。それだけで気温が一、二度も下がったように感じる。窓から空を見上げると、瞬く間に、厚く黒い雲が太陽と青空を席巻していた。豪快な天空ショーだ。
 果たして雨は降り出し、閉めた窓の下から微かに人のざわめきが聞こえる。手をつないで走り出す親子連れ、カバンを頭上に掲げて、大股に歩くビジネスマン、突然のアクシデントにはしゃぎだす学生の群れ。
 このタイミングで帰って来なければいいけど。
 降り出した雨と雲を見上げながらアントニオは心配げに眉を寄せた。
 帰りの列車の時間が決まっていれば、傘を持って駅まで迎えに行けたのに。やっぱりあっちを出る時に電話するように言えばよかったな―――。
 昨晩の電話以来、どこかそわそわして、落ち着かない自分に気付いた。
 これまで、こんなに他人に心を砕いたことがあっただろうか。あったとしても遠い昔のような気がする。
 これが本当に自分だろうか?
 既に窓からはひんやりとした空気が伝わってくる。アントニオは自嘲気味に笑った。
 どれだけあの人と一緒にいるんだろう。いつの間にか一緒にいることが普通になっている。隣にあの人がいることが、あたりまえになっている。それほどに。
 これが、本当に自分だろうか。
 いつの間にか。
 本当にいつの間にか。
 こうして一人でいる時も、気がつけば、いつもあの人が意識のどこかに存在する。振り返れば、あの人がそこにいると思っている。

 窓の外の雨と風が俄かに激しさを増し、無数の水滴が窓ガラスをバラバラと叩いた。突然の稲光が視界を奪う。続いて地面から揺らぐような雷鳴―――。
 やっぱり携帯に電話をしてみようか。
 再び光った稲光を見上げながら、そう思った時、何かがすとんと腑に落ちた。

 ああこれが、孤独(ひとり)じゃないということか。

 そうか。これが、そうなのか。
 ざわついていた心が、何故か突然静謐なものになった。

 孤独ではないということは、なんと月並みで、なんと幸福で、なんと甘美で。
 そして、なんと、怖ろしいことだろう―――。



 何かが振動する気配がした。やがてそれが何かが振動している音だとわかり、その音が背後からすることに気付いた。
 気付けば激しい雨はやんでいた。雲は残っているがさっきまでの黒い雲ではなく、厚みはあるが灰色の雲が、再び顔を出した西日に照らされている。
 バイブレーションに設定した携帯電話が、震えて、机をじりじりと移動していた。落ちかかるところを下から拾い上げ、ディスプレイを見る。石動の番号からだった。静謐な水面に僅かな細波がたった気がして、少し身構えてから、フリップを開く。
「…大将?」
「アントニオ、今事務所か?」
 石動の声は少し興奮しているようだった。受話器越しに伝わる音で雑踏―――アナウンスのようなものも聞こえるから、駅だろうか?―――にいるのがわかる。
「ええ、そうですけど。大将は?まだ―――」
「ええと…アントニオ、東だ、東の方、見てみろ、外」
「…東?」
 電話を耳につけたまま、窓際に戻ると眼下の人々もほとんどが立ち止まって東を向いている。携帯電話を掲げる者、指をさす者―――。その指がさす方向に視線を向けると、
「ああ―――。すごいですね」
 夕立が上がり、いまだ残る厚い雲をスクリーンに、大きな虹が空に七色の弧を描いていた。
「すごい、大きい…」
「な!すごいだろ!ぼくも今新宿に着いたところなんだけど、ホームに降りたらみんな騒いでて」
 電話を耳につけたまま、しばらくその光景に見入る。

 石動も同じ状態だったようで、返答には何度か呼びかけが必要だった。
「大将。―――大将?駅まで迎えに行きましょうか?」
「あ―――、いいよ。雨もあがったし、別に荷物も増えてないし…」
「本当に?」
「うん」
「じゃあ、おとなしく待ってます」
「うん、じゃあ、後でな」

 通話終了のボタンを押して、ふ、と息をつく。まだ、大きな虹は消えていない。
 そうだ、エアコンを少し強めにかけておこう。
 あのドアを開けた石動は、涼しいと喜んでくれるだろうか?それとも、電気代がもったいないと怒るだろうか?
 数分後にはこの目で見ることになる石動の姿と声を想像して、アントニオはくすくすと笑った。

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