密/室(仮店舗)

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■Fall into heaven■


片思い中アントニオの受難三連作wの二です。
三連作のテーマは「かわいそうなアントニオ」でした。

高田馬場なんだから風呂屋くらい普通にあるはずという思い込みで書いたんですが、
後日ぽんぷさんとのデートで(うふ)高田馬場を訪れた時、
実際に有るのを確認しました。
だから何?って話ですが。

そして風呂とくれば、この定番ネタをやらずにはおれませんでした!

タイトルは森博嗣先生の「ダウン・ツ・ヘヴン」に触発されて。
天国へ堕ちるみたいなイメージで。


■Fall into heaven■




「だから、いいですって」
「なんでだよ。ぼくの背中だけ流してもらったら不公平だろ。いいから向こう向けよ」
 夕刻を向かえ、徐々に人影の増えてきた銭湯の片隅、並びのカランの前に座り、いかにも銭湯の客らしく腰にタオルを巻いた有限会社ダム・オックス代表取締役の石動戯作とその助手アントニオの二人は妙な小競り合いをしていた。
「大将は曲がりなりにも、代表取締役ですからね。アタシのような下っ端が、背中を流してもらうなんて恐れ多くて」
 石動の背中を流したタオルをカランから流れるお湯でゆすぎながらアントニオが言うと石動は昔懐かしい動作と音声で指を横に振り、
「まだまだ日本の文化を理解してないな、おまえは。銭湯や温泉では裸の付き合いってのが基本なんだ。外での地位や役職なんか関係ないってこと。だから―――」
 言いつのる石動にアントニオは軽くため息をついた。
「でもね、大将」
「じゃあ、業務命令だ。ぼくが背中を流してやるから向こうを向け」
してやったり、という表情で石動がにやにやと笑った。

「おう、なんだ今日は珍しいのがいるな」
 有限会社ダム・オックスは探偵事務所であるにも係わらず、ひょんなことから高田馬場商店連合会に加盟している。その寄り合いに時折顔を出している石動は地元の商店主に知り合いが多いのだ。眼鏡は脱衣場で外してきたが声の主の見当は付いたのだろう。石動はひょこりと頭を下げて、
「あ、どうも、八百正さん…。事務所のシャワー室、めちゃくちゃ狭いんですよ。たまには銭湯でゆっくり温まろうと思いまして」
「ああ、そりゃあな。風呂くらい手足伸ばして入りてえよな」
「ええ」
 八百正の店主が向かいのカランに陣取って勢いよくお湯をかぶり、体を洗い始めた
 二人の会話を耳にだけは入れながら、アントニオは今にものぼせそうになっていた。
 自分の背中を石動の握ったタオルが上下する感触から、その少しだけ向こうにあるのを感じてしまう石動の体温から、出来るだけ遠いところへ意識を飛ばそうと努力していた。
 石動の背中を流していた時から既に限界だったのだ。タオルを握った手が直に石動の体に触れないように細心の注意を払いながら、その一方でこのまま素手で撫で回したい衝動と闘っていた。偶然を装って、この手でこの肌を味わってしまいたい―――。
 実際の時間はほんの数分だったのだろうが、泡にまみれた石動の背中を洗い湯で流した時には、緊張状態からの解放感でひっそりと長いため息を漏らしたほどだ。
 ようやく理性との戦いが終わった、そう思ったのに。
 今度は自分がアントニオの背中を流すという。
 全力を出し切ったフルマラソンの後に、レースをやり直すからスタート地点に戻れと言われたようなものだ。
 勘弁してくれ―――。
 正直に言えばそう思った。自分がアメリカ人なら迷わず神の名を叫ぶことだろう。自分のこの劣情を悟られていないのは幸いだが、この人はあまりにも無防備で無用心で、何も知らないが故に悪魔のように残酷だ。

「あ」
 そう背後で聞こえたのと、アントニオとカランの間を石鹸が滑走してきたのは同時だった。反射的に前かがみになりそれを拾ってやろうとすると、
「いいよ、ぼくが拾う」
 石動がアントニオの背後から、その石鹸を拾おうと手を伸ばしてきた。バランスをとるためかアントニオの背中に右手をついて。
「う」
 石動の手のひらの五指の感触がそれぞれ伝わってくるほど、アントニオの意識はそこに集中した。気付けば自分の身体のすぐ左から、石動が顔を覗かせている。目を閉じても、近くにいることがわかる距離だ。石動の体の熱をしっかりと空気が伝えるほどの―――。
「あれ?」
 石鹸は石動の指先を器用に逃れていく。それを追おうと石動は少し腰を上げ、さらに手を伸ばそうと、アントニオの背に置いた手に体重を乗せた。そして首尾よく石鹸を手中に収めたところで、
「、!」
 既に石鹸をぬりたくった洗いかけの背中だ。石動の手は横滑りし、その体はバランスを崩しアントニオの背中に後ろからべったりと密着した。

 のぼせかけた頭の血が一瞬にして下がり、今度は急ピッチで漕がれるポンプから吐き出される水のように勢いよく全身を駆け巡る。
「いたた…ご、ごめんなアントニオ」
「…いえ…」
 石のように硬直した背中から石動の体はすぐに離れていったが、全身を駆け巡る血液の勢いは全く衰えない。心臓が過負荷で壊れそうだ。本当なら荒く息をついて酸素を補給したいところなのにそうは出来ず、酸欠か貧血かどちらかわからないが立ちくらみのように視界がぐるぐると回りだした。きつく目を閉じる。
 背後からは石鹸を湯に浸し直しているらしい音がばちゃばちゃと聞こえ、石動の手が再びアントニオの背中で上下運動を始めた。


 背中に温かい洗い湯がかけられる。
「どうだ?さっぱりしただろ?」
 言った本人の方がご満悦の様子でそう問いかけてきたが、アントニオは短く、
「はい」
 と言うのが精一杯だった。
「よし、じゃあ湯船に浸かって温まろう」
 快活にそう言って石動は立ち上がったが、一向にカランの前から動こうとしない助手を少し不思議そうに振り返った。
「…髪を、洗ってから、行きます」
 本当は他の理由があるが、それは決して言うわけにはいかない。
「そうか。じゃあ先に温まってるよ」

「ううう…」
 石動は身体から全ての空気が抜けていくようなため息とも唸り声ともつかないものを吐き出しながら湯船に身を沈めた。
「ああ、あったまるなあ…」
 先に湯船に浸かっていた八百正の店主がそれに応じて、
「おう、これぞ極楽、ってやつだな」
「昔の人は的を射たこと言いますよねえ。まさに極楽です」
 湯船にどっぷりと浸かった二人は幸福そうに交互に極楽極楽と言い合って、まるでこの世の悦楽を一身に享受しているような口ぶりだ。洗髪料を手のひらに溜めながらそれを聞いているアントニオは泣きたいような気分になった。
 こっちはまるで地獄です―――。
 心の中でそう叫びながら頭を抱える。
 幸い、周りからはその長い髪を熱心に洗っているようにしか見えなかった。

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