密/室(仮店舗)

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■Knockin' on heaven's door [1]■

■アン石SS■

作中に、原作(特に「黒い仏」)のネタバレを含みます。原作を未読の方はご注意を…。
それと、色々と捏造あり。
「大丈夫」という方は、“続き”をどうぞ。











Knockin' on heaven's door [1]


「来月発売のハンドクリームの試供品でーす。どうぞお持ち下さーい」
十月も末に入って、めっきり秋らしくなった。今日のような曇天では冬が間もなくやってくることを実感させられる。夕刻の高田馬場駅を行きかう若者達の服装もすっかり秋モードだ。そんな気候にも係わらず試供品配布のアルバイトの女性はミニスカートである。
「無香料ですので男性もお使いいただけまーす。どうぞお試し下さーい」
早稲田口の改札から溢れ、左右に流れていく人々のうち数人が、そのブルーのチューブに手を伸ばし、それ以外の数人が手渡されたそれを唯々諾々と受け取った。


「おかえりなさい」
 ノックもなしにドアが開けられたが、ハンモックの上の若い助手は別段驚くふうもない。その声に迎えられたのは、ここ有限会社ダム・オックスの主にして探偵の石動戯作である。依頼人に調査結果を渡し、調査料をいただいてのご帰還である。なかなか機嫌が良さそうなところから察するに十分な調査料を受け取ったのだろう。
「ただいま。さすがに夏物じゃ寒くなってきたよ。こうなると温かいものが食べたくなるなあ。アントニオ、おまえも晩ご飯まだだろう?今日は久しぶりに大勝軒にでも行かないか?」
 ハンモックの上で読めない雑誌をパラパラとやりながら、アントニオはそっけなく答えた。
「大将お一人でどうぞ。アタシには帰り道にパンでも買ってきて下さい」
その答えに石動は心配そうに眉を寄せ、
「またか…。おまえ本当に具合が悪いんじゃないのか?この間から、事務所から一歩も出ないじゃないか」
 アントニオは少しだけ身体を起こして、ハンモックから微笑んだ顔を見せる。
「そんなんじゃありませんよ。単に気分の問題です。気にしないで出かけて下さい」
「いや、いいよ…。出前をとればすむことだし…」
 いつも通りの笑顔を確認できたことで幾分でも安心できたのか、石動はまた明るく続けた。
「そういえば、駅前でこんなもの配ってたよ。男性も使えるハンドクリーム、だって。ああいうの、どうしてアルバイトの子はミニスカートなんだろうな?今日なんて長袖のシャツをひっかけてても寒いくらいなのに」
笑いながら、ソファへ放り投げた黒いショルダーバッグの上に、ついさっき受け取った青いチューブをまた放った。

 

アントニオが外出しないのには理由があった。
 尾行られたのだ。
三日前、石動のお使いで新宿の本屋へ出かけた。用をすませ、駅へと続く長いデッキを歩いているときに尾行られていることに気づいた。
振り向くまでもない。その人物の意識が自分だけに集中しているのがはっきりとわかる。なんと下手くそな尾行だろう。
尾行されるなんて日本に来てからは初めて、だな。
これまでなら、そんな気配を感じた数時間後には数百キロも離れた場所へ移動していた。これまでの自分の行動に倣うなら、この数冊の本の入ったビニール袋をゴミ箱に放り込んで、さらば東京、だ。
それが一番安全で一番確実な解決方法のはずなのに。交通手段の確保や次に向かう場所の選定を考えるべき頭脳の回路は、「ここに留まるにはどうしたらいいか」を必死に考えていた。それを自覚してアントニオは薄く自嘲的な笑いをうかべる。その理由にも自覚があったからだ。

大将はアタシがいなくなったらどうするだろう―――。
そう考えただけで苦しくなった。
きっと探してくれる。自分は不法入国者だから警察には駆け込めないとしても、出来るかぎりの手を尽くして探してくれるだろう。その時の石動の状態を思うだけでも胸が痛んだ。
しかし、こうも思う。
でも、それだけだ。
一時期身近にいただけの不法入国の助手。それを失くしたことをいつまでも憂いて暮らせるほど石動の生活は優雅ではない。いや、この表現は正しくない。自分は、彼にとってそこまでの存在ではない―――。

 甲州街道へ出てから、まっすぐ駅には向かわずにその尾行者をまき、逆にその人物の後を付けた。背の低い、つぶれた蛙のような顔をした男だ。アントニオを見失ったその男は、うまいことにそのまま根城であろう安アパートの一室へ入っていった。
尾行の未熟さといい、自分が尾行されていることに気づかないことといい、まったくの雑魚だ。この人物自体は取るに足らないが、もし組織に繋がっているとしたら―――。


「なんだか外が騒がしいな。学生が喧嘩でもしてるのかな」
 石動が窓に歩み寄る。
「W大学が優勝したんでまたパレードでしょう」
 ハンモックから身軽に着地しながら、アントニオが答えると、
「ああ、そうなのか…。道理で人が多いと思ったよ」
二人並んで窓から早稲田通りを見下ろす。普段は見られない人の波が通りを東へと進んでいた。

自分はいつからこの人をこんなに好きになったのだろう。
不法入国者の自分を拾ってくれた。帰るところがないといえばここに泊まればいいと言う。そして出会って間もない、素性の知れない中国人に留守番を頼んで、あろうことか出張すると言い出した。
なんて無防備な男だろう。アタシが金を盗み家財道具を現金に換えて(とは言っても大した金額にはならないが)、そのまま消えるなんて可能性は考えないのか?―――無防備というより、馬鹿だ。
そう思った。
なのに。
その無防備な信頼(というほど大げさなものでもないだろうが)を裏切れないと思った。裏切りたくないと思った。
そして。
そんな気持ちになるのは生まれて初めてだった。

隣に立つ石動の声を耳に感じ、それ以外の、彼から放散されるものを感じることに集中する。体温や、呼吸が揺らす空気。石動という存在そのもののぬくもりだ。
窓の向うを指さす、長くない指に触れたらきっと温かいだろう。
そのぬくもりの一番近くにいられれば、それで十分だったのに。

身をかがめ横から石動の顔を覗き込むようにして、口付けた。温かく、湿った感触。石動の唇の熱を十分に感じてから、ゆっくりと唇を離した。
目を開けると石動の、まさに鳩が豆鉄砲をくらったような顔があった。

さあ、どうします?大将―――。
アントニオは注意深く石動の反応を待った。
「冗談ですよ」
「真っ赤になっちゃって、純情ですね、大将」
今ならまだ笑うことが出来る。驚かれたら、怒られたら、騒がれたら、こう答えればいい。そう言っていつものように面白がれば、いつものように「おかしなヤツだ」と思ってもらうことが出来る。
そう思ったのに。
石動はそのまま時間が止まったかのように、アントニオを見つめているだけだった。
だからもう一度口付けた。
「ん」
反射的に反応するだけで(大体目も開けっぱなしだ)、抵抗するとか、押しのけるとか、あるいは抱きついてくるとか(それはありえない)、全く何の反応もない。そんな石動に焦れて、唇を離しながら聞いた。
「大将…。嫌じゃないんですか?」
「えっ?」
石動はそこで初めて何かに気付いたようだ。一瞬虚をつかれたように呆然として、それから何かを思い返すように腕を組んで考え込む。
「うん…。別に、嫌じゃないなあ…」
―――なんなんだこの人は。
 脱力しそうになりながらも、見当はずれな受け答えに多少苛立ちを覚えた。イヤじゃないって、そんな夕食のメニューの提案みたいな悩み方をしないでほしい。
アントニオは目を細めて、挑むように言った。
「じゃあ、もっと進めていいですか?」
石動が顔を上げる。
「え」
「ああ、嫌だと思ったら言って下さい。すぐやめますから」
やめられれば。と思ったが口には出さなかった。


続き

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